お釈迦様が出家に至る過程など、日本にはほとんど仏教が伝わってきていません。日本人が仏教だと思っているのは、ほとんどヒンドゥーだと思って間違いありません。お釈迦様が教えられた仏教の道には、決して自分よりも外にある神仏に祈願して、何かことを成就しようとするということがありません。タイのお坊さんが出家して、日本のお坊さんと大きく異なるところは、職業がありません。人生が僧侶です。日本のお坊さんは、職業がお坊さんで人生が一般人です。僧侶はそのひとの生き方であって、職業ではありません。
仏教は、歴史的に南方伝来と北方伝来に分かれています。北方伝来はサンスクリット語を基にして、チベット中国を介して、日本に伝わってきました。南方伝来はパーリ語を基にしてスリランカ、タイ、ミヤンマー、ラオスに伝わってきました。北方伝来で有名なのは、玄奘三蔵法師、クマラージュがインドから仏教をもたらしたことです。南方伝来は、シャカの仏教とか上座部仏教と呼ばれています。北方伝来を大乗仏教と呼びます。仏教とはもともと大乗ではありません。自分自身が内にある自分の魂を成長させていくことを目的としたものです。別の人を助けよう、世の中の多くの人たちを助け、救いの手を差し出そうとすることは、仏教ではなくまさにヒンドゥーそのものです。日本の真言宗天台宗といった密教と呼ばれる手法はますます仏教とは離れていきます。ヒンドゥーのタントリックの一部です。日本人はヒンドゥーの様々な手法を間違えて解釈して、仏教だと思ってしまいました。お釈迦様の偉大さが、ヒンドゥーが伝来する時に一緒に乗って来たのでしょう。日本各地に見られる、自分以外の何者かに本願して、救いを求める形は、もともと仏教には、ありません。仏教は仏像を拝むということはありません。
タイでも仏像を拝むことはないのですが、そこらじゅうに仏像があるのはなぜでしょうか。仏像の姿を見て、あの姿が自分の目指す姿だ、目標であると常に忘れずに人生を送るためにあります。プラサーヤム・テラティワットの神様をはじめとするタイにたくさんある像は、仏像ではなく、神像です。タイで手を合わせて拝んでいるのは、神像でテープ(神)ポポン(守る)です。人々に働きかけて、願いを叶えてくれたり、邪悪なものから守ってくれます。このほかにタウエースワンやアジアを治める神々に手を合わせます。皆さんは手を合わせるときに、いったい誰か、どのような、何の神様に拝んでいるのかを意識したほうがいいです。日本人は神社に行っても、とりあえずお賽銭を投げて、商売繁盛と言って手を合わせるだけです。
皆さんは良い意味で選ばれた人たちなので、神様や超越した存在に手を合わせる前に、どのレベルの存在かということまで、しっかり意識しましょう。例えば、この部屋の前にあるスピリッツハウス、ここに祀られている存在は神ではありません。この地域に住んでいるスピリッツを祀っています。今日洞窟の中で手を合わせる存在は、「ジ」融合体、そして神様のドアが開けば神様です。
日本独特の山岳信仰で山伏と呼ばれる人たちが、どのような存在と縁ができているかというと、山などの自然の中で修行すれば、地のスピリッツ、水のスピリッツとの縁が深くなってきます。これらの存在は人間に働きかけてくる傾向があるので、奇跡が起きやすいと思います。これに対し、レベルの高い神々ほど物理的奇跡現象は起きにくくなります。魂は成長して、テワダーを目指すのが正しい道なのですが、テワダーにはならなくていい、神々のルールを守るのは面倒だアウトローで自由でいたいと思ったら、スピリッツになることができます。
シルディサイババ等の高い聖者たち、弘法大師、空海、日蓮聖人などの聖者たちはテワダーの世界に戻らずに、ルーシー(中国で老師と翻訳され、伝えられた?)としてこの世に残っていられます。例えば、百数十年前に活躍したシルディババはサマディに戻られた(亡くなられた)後、この世に残ってルーシーという形で存在して、人々を手助けしてます。ルーシーはテワダーの世界に戻ったら、非常に徳分を積みにくいので、この世に残って、人々のお願い事を叶えてあげて、その人の魂の成長を助けています。このルーシーを多くの方が神と勘違いしています。古来の聖者はルーシーになっていることが多いのです。ごく稀に、ルーシーが個別についている人がいます。例えば、ヒーリングするとき、見守ってくれたり、助けてくれたりします。ルーシーは全世界で八万柱います。世界人口が70億ですからとても少ないですが、ルーシーが全部働いているわけではありません。ごく1部なので、何千万人に1人といった確率だと思います。
皆さんが手を合わせたとき、目の前にいる存在は神、テワダー、ルーシー、スピリッツなどのうちで、どれなのか何なのかを考えながら、拝んだ方が勉強になります。先ほどの話に戻りますが、山岳信仰をする人は山の中に住んでいる自然界のスピリッツとの関係ができて、守ってくれるようになってくると思います。彼らは物理的現象に影響が大きいので、山岳信仰の行者たちが祈祷を行うことで、病気が治ったり、問題が解決したりすることがよく見られます。これはまさに山岳信仰によって、スピリッツが動いてくれるからです。
この方が、どのような事をして、どのような対象と関係性を持って非物理現象が起きているということを、ちゃんと理解することができれば、ありとあらゆる宗教やありとあらゆる神々が何ら敵でなく、それぞれの世界において、その世界に縁のある人が学んでいることが解ります。すべての宗教、思想、「行」は尊重されなければなりません。自分がやっている宗教や考えだけが正しくて、他の人たちを非難するような事をしたら、それは神々の本当の成り立ちを知らないということになります。今、ここで行われようとしていることは、神々の世界の扉を開いて、Jit融合体との関係性において事が成されるということです。話が少し広がりましたので、お釈迦様の出家の話はまた後にします。
タムワンという、先週別の宗教グループのツアーで最初の日にやった洞窟に、今日行くのは、無理です。台風で浸水して危ないし、穴があって落ちるかもしれない。天井が低いので、参加者の頭の上から神聖物が落ちてきました。いいところですが、二つ目に予定していた洞窟にいきます。ニョロが出ます。どこから出るかわかっているので、カメラを向けやすいです。はじめて儀式をするところは、どこから出るかわかりにくいのです。今日は一つ目に予定していた洞窟のJitを二つ目に予定していた洞窟に呼んで、儀式をします。普通は私たちが洞窟にいきますが、そこにはいくことができないので、呼び出します。
なぜこのような事をするかというと、近い将来日本の洞窟で儀式を行うためです。もう練習はしてあります。この方法は来年、仏暦2560年2月クラビの山の頂上でこの儀式を行うだめです。洞窟の中だと何か仕掛けたんだろうと言う人が出ます。だから何もない山の頂上で神聖物を出現させます。皆さんも覚悟しておいて欲しいのですが、ジャングルの中を歩いて山の上に登ります。水、食料、テント、自分の荷物を持って行かなければなりません。山頂で夜を過ごして明け方から儀式を行います。体力、気力、財力が必要です。誰も無理強いはしませんし、行ける人数も限られています。山の頂上にいるJitだけでなく、洞窟にいるJitも呼びます。その時には、地面からニョロが出るかもしれません。
今日初めて天の扉開きに参加する人は、神聖物が欲しいですか?そのような人はもらえません。いらないですか?いらない人はもらえません。もし、いただける準備があって、自分に合うものがあるのならば、授けて下さいとお願いしてください。昨年の1月の第1回のツアーの参加者の中で「私は神聖物が欲しいようなレベルではありません。先生の持っているオリハルコンは私が持つのが相応しいので、それください。」と言ったひとがいました。この人がいたために、3回行われた儀式のうち、1回目は全くひとつも出ませんでした。他にもいろいろなトラブルを起こすので、その人には参加を遠慮してもらいました。それ以後の二回はとてもうまくいきました。
何回も参加している方は、自分が欲しい形をイメージしてください。洞窟のJit融合体が私たちのJitを読んで神聖物を出現させてくれます。お釈迦様でも良いです。難しかったら簡単な丸でも良いです。しかし、フナッシー、ヒコニャンなどの人形の形はだめです。ローソクの炎を見て、その炎の形を目の前に移して、自分の欲しい形に変えると良いです。あまり大きすぎるとだめです。適度な大きさにしてください。
儀式が終わった後、神聖物は全て幕の上にあるわけではありません。そこらに転がっている場合があるので、みんなで探します。先ほど見せた神聖物を良く見て覚えておいてください。探して歩くときに、足で踏んだりしないように気をつけてください。
投稿日:2016年02月11日(木)
お釈迦様が出家に至る過程など、日本にはほとんど仏教が伝わってきていません。日本人が仏教だと思っているのは、ほとんどヒンドゥーだと思って間違いありません。お釈迦様が教えられた仏教の道には、決して自分よりも外にある神仏に祈願して、何かことを成就しようとするということがありません。タイのお坊さんが出家して、日本のお坊さんと大きく異なるところは、職業がありません。人生が僧侶です。日本のお坊さんは、職業がお坊さんで人生が一般人です。僧侶はそのひとの生き方であって、職業ではありません。
仏教は、歴史的に南方伝来と北方伝来に分かれています。北方伝来はサンスクリット語を基にして、チベット中国を介して、日本に伝わってきました。南方伝来はパーリ語を基にしてスリランカ、タイ、ミヤンマー、ラオスに伝わってきました。北方伝来で有名なのは、玄奘三蔵法師、クマラージュがインドから仏教をもたらしたことです。南方伝来は、シャカの仏教とか上座部仏教と呼ばれています。北方伝来を大乗仏教と呼びます。仏教とはもともと大乗ではありません。自分自身が内にある自分の魂を成長させていくことを目的としたものです。別の人を助けよう、世の中の多くの人たちを助け、救いの手を差し出そうとすることは、仏教ではなくまさにヒンドゥーそのものです。日本の真言宗天台宗といった密教と呼ばれる手法はますます仏教とは離れていきます。ヒンドゥーのタントリックの一部です。日本人はヒンドゥーの様々な手法を間違えて解釈して、仏教だと思ってしまいました。お釈迦様の偉大さが、ヒンドゥーが伝来する時に一緒に乗って来たのでしょう。日本各地に見られる、自分以外の何者かに本願して、救いを求める形は、もともと仏教には、ありません。仏教は仏像を拝むということはありません。
タイでも仏像を拝むことはないのですが、そこらじゅうに仏像があるのはなぜでしょうか。仏像の姿を見て、あの姿が自分の目指す姿だ、目標であると常に忘れずに人生を送るためにあります。プラサーヤム・テラティワットの神様をはじめとするタイにたくさんある像は、仏像ではなく、神像です。タイで手を合わせて拝んでいるのは、神像でテープ(神)ポポン(守る)です。人々に働きかけて、願いを叶えてくれたり、邪悪なものから守ってくれます。このほかにタウエースワンやアジアを治める神々に手を合わせます。皆さんは手を合わせるときに、いったい誰か、どのような、何の神様に拝んでいるのかを意識したほうがいいです。日本人は神社に行っても、とりあえずお賽銭を投げて、商売繁盛と言って手を合わせるだけです。
皆さんは良い意味で選ばれた人たちなので、神様や超越した存在に手を合わせる前に、どのレベルの存在かということまで、しっかり意識しましょう。例えば、この部屋の前にあるスピリッツハウス、ここに祀られている存在は神ではありません。この地域に住んでいるスピリッツを祀っています。今日洞窟の中で手を合わせる存在は、「ジ」融合体、そして神様のドアが開けば神様です。
日本独特の山岳信仰で山伏と呼ばれる人たちが、どのような存在と縁ができているかというと、山などの自然の中で修行すれば、地のスピリッツ、水のスピリッツとの縁が深くなってきます。これらの存在は人間に働きかけてくる傾向があるので、奇跡が起きやすいと思います。これに対し、レベルの高い神々ほど物理的奇跡現象は起きにくくなります。魂は成長して、テワダーを目指すのが正しい道なのですが、テワダーにはならなくていい、神々のルールを守るのは面倒だアウトローで自由でいたいと思ったら、スピリッツになることができます。
シルディサイババ等の高い聖者たち、弘法大師、空海、日蓮聖人などの聖者たちはテワダーの世界に戻らずに、ルーシー(中国で老師と翻訳され、伝えられた?)としてこの世に残っていられます。例えば、百数十年前に活躍したシルディババはサマディに戻られた(亡くなられた)後、この世に残ってルーシーという形で存在して、人々を手助けしてます。ルーシーはテワダーの世界に戻ったら、非常に徳分を積みにくいので、この世に残って、人々のお願い事を叶えてあげて、その人の魂の成長を助けています。このルーシーを多くの方が神と勘違いしています。古来の聖者はルーシーになっていることが多いのです。ごく稀に、ルーシーが個別についている人がいます。例えば、ヒーリングするとき、見守ってくれたり、助けてくれたりします。ルーシーは全世界で八万柱います。世界人口が70億ですからとても少ないですが、ルーシーが全部働いているわけではありません。ごく1部なので、何千万人に1人といった確率だと思います。
皆さんが手を合わせたとき、目の前にいる存在は神、テワダー、ルーシー、スピリッツなどのうちで、どれなのか何なのかを考えながら、拝んだ方が勉強になります。先ほどの話に戻りますが、山岳信仰をする人は山の中に住んでいる自然界のスピリッツとの関係ができて、守ってくれるようになってくると思います。彼らは物理的現象に影響が大きいので、山岳信仰の行者たちが祈祷を行うことで、病気が治ったり、問題が解決したりすることがよく見られます。これはまさに山岳信仰によって、スピリッツが動いてくれるからです。
この方が、どのような事をして、どのような対象と関係性を持って非物理現象が起きているということを、ちゃんと理解することができれば、ありとあらゆる宗教やありとあらゆる神々が何ら敵でなく、それぞれの世界において、その世界に縁のある人が学んでいることが解ります。すべての宗教、思想、「行」は尊重されなければなりません。自分がやっている宗教や考えだけが正しくて、他の人たちを非難するような事をしたら、それは神々の本当の成り立ちを知らないということになります。今、ここで行われようとしていることは、神々の世界の扉を開いて、Jit融合体との関係性において事が成されるということです。話が少し広がりましたので、お釈迦様の出家の話はまた後にします。
タムワンという、先週別の宗教グループのツアーで最初の日にやった洞窟に、今日行くのは、無理です。台風で浸水して危ないし、穴があって落ちるかもしれない。天井が低いので、参加者の頭の上から神聖物が落ちてきました。いいところですが、二つ目に予定していた洞窟にいきます。ニョロが出ます。どこから出るかわかっているので、カメラを向けやすいです。はじめて儀式をするところは、どこから出るかわかりにくいのです。今日は一つ目に予定していた洞窟のJitを二つ目に予定していた洞窟に呼んで、儀式をします。普通は私たちが洞窟にいきますが、そこにはいくことができないので、呼び出します。
なぜこのような事をするかというと、近い将来日本の洞窟で儀式を行うためです。もう練習はしてあります。この方法は来年、仏暦2560年2月クラビの山の頂上でこの儀式を行うだめです。洞窟の中だと何か仕掛けたんだろうと言う人が出ます。だから何もない山の頂上で神聖物を出現させます。皆さんも覚悟しておいて欲しいのですが、ジャングルの中を歩いて山の上に登ります。水、食料、テント、自分の荷物を持って行かなければなりません。山頂で夜を過ごして明け方から儀式を行います。体力、気力、財力が必要です。誰も無理強いはしませんし、行ける人数も限られています。山の頂上にいるJitだけでなく、洞窟にいるJitも呼びます。その時には、地面からニョロが出るかもしれません。
今日初めて天の扉開きに参加する人は、神聖物が欲しいですか?そのような人はもらえません。いらないですか?いらない人はもらえません。もし、いただける準備があって、自分に合うものがあるのならば、授けて下さいとお願いしてください。昨年の1月の第1回のツアーの参加者の中で「私は神聖物が欲しいようなレベルではありません。先生の持っているオリハルコンは私が持つのが相応しいので、それください。」と言ったひとがいました。この人がいたために、3回行われた儀式のうち、1回目は全くひとつも出ませんでした。他にもいろいろなトラブルを起こすので、その人には参加を遠慮してもらいました。それ以後の二回はとてもうまくいきました。
何回も参加している方は、自分が欲しい形をイメージしてください。洞窟のJit融合体が私たちのJitを読んで神聖物を出現させてくれます。お釈迦様でも良いです。難しかったら簡単な丸でも良いです。しかし、フナッシー、ヒコニャンなどの人形の形はだめです。ローソクの炎を見て、その炎の形を目の前に移して、自分の欲しい形に変えると良いです。あまり大きすぎるとだめです。適度な大きさにしてください。
儀式が終わった後、神聖物は全て幕の上にあるわけではありません。そこらに転がっている場合があるので、みんなで探します。先ほど見せた神聖物を良く見て覚えておいてください。探して歩くときに、足で踏んだりしないように気をつけてください。