暑い季節は夏祭りとか、盆踊りで楽しく過ごしますね。日本の風習はとても素晴らしいです。
お盆は、一般に仏教の行事と認識されていますが、仏教の教義で説明できない部分も多いです。古神道における先祖供養の儀式や神事を、江戸幕府が庶民に強いた檀家制度により仏教式で行う事が強制され、仏教行事の「盂蘭盆(うらぼん)」が習合して現在の形が出来たとされます。
「盂蘭盆」の省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれます。盆とは文字通り、本来は霊に対する供物を置く容器を意味するため、供物を供え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したという説もあります。
中国文化では道教を中心として旧暦の七月を「鬼月」とする慣習があります。旧暦の七月朔日に地獄の蓋が開き、七月十五日の中元節には地獄の蓋が閉じるという考え方は道教の影響を受けていると考えられています。台湾や香港、華南を中心に現在でも中元節は先祖崇拝の行事として盛大に祝われています。
日本では8世紀ごろには、夏に先祖供養を行う風習が確立されたと考えられています。仏教によるお盆時期は1日から24日で、地蔵菩薩の法会は「地蔵盆」と呼ばれ、大日如来のお盆は「大日盆」といわれます。地獄の王は閻魔王であるがその王と対になるのが地蔵菩薩です。
釜蓋朔日(かまぶたついたち)地獄の釜の蓋が開くのが1日(ついたち)で、この日からお盆です。この日を境に墓参りなどして、ご先祖様をお迎えし始めます。
七夕、棚幡7日は七夕ですが、そもそも七夕は棚幡とも書き、故人をお迎えするための精霊の棚とその棚に安置する幡(ばん)を供える日であり、その行為を7日の夕方より勤めたために棚幡がいつしか七夕に転じたそうです。お盆期間中に僧侶に読経してもらい報恩することを棚経(たなぎょう)参りといいます。
13日夕刻の野火を迎え火(むかえび)とよび精霊の棚の故人へのお供え物をします。16日の野火を送り火(おくりび)とよび故人をお墓へお送りします。
盆踊り15日の盆の翌日、16日の晩に、寺社の境内に老若男女が集まって踊るのを、盆踊りといいます。これは地獄での受苦を免れた亡者たちが、喜んで踊るのを模したといわれます。夏祭りのクライマックスです。
地方によっては、お盆の期間中に、故人の霊魂がこの世とあの世を行き来するための乗り物として、「精霊馬」(しょうりょうま)と呼ばれるきゅうりやなすで作る動物を用意することがあります。4本の爪楊枝、マッチ棒あるいは折った割り箸などを足に見立てて差し込み、馬、牛として仏壇まわりや精霊棚に供物とともに配します。きゅうりは足の速い馬に見立てられ、あの世から早く家に戻ってくるように、また、なすは歩みの遅い牛に見立てられ、この世からあの世に帰るのが少しでも遅くなるように、また、供物を牛に乗せてあの世に持ち帰ってもらうとの願いがそれぞれ込められています。
北信州のこの地方では、おやきをお供え物する風習や、迎え火送り火の時に独特の歌を口ずさむ習慣があります。
目連伝説本来的には安居(あんご)の終わった日に人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて、祖先の霊を供養し、さらに餓鬼に施す行法(施餓鬼)となっていき、それに、儒教の孝の倫理の影響を受けて成立した、目連尊者の亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加されたようです。
『盂蘭盆経』(うらぼんきょう)からのお話し
安居の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう。」と答えた。その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも、伝わり、母親の口にも入った。
(当時の比丘は酒を飲んだり、肉魚卵を食べたりはしておりません。当然ですが、精進のものを飲んだり食べたりしました。釈尊の目は厳しいですからね。悪しからず。)
投稿日:2015年07月27日(月)
暑い季節は夏祭りとか、盆踊りで楽しく過ごしますね。日本の風習はとても素晴らしいです。
お盆は、一般に仏教の行事と認識されていますが、仏教の教義で説明できない部分も多いです。古神道における先祖供養の儀式や神事を、江戸幕府が庶民に強いた檀家制度により仏教式で行う事が強制され、仏教行事の「盂蘭盆(うらぼん)」が習合して現在の形が出来たとされます。
「盂蘭盆」の省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれます。盆とは文字通り、本来は霊に対する供物を置く容器を意味するため、供物を供え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したという説もあります。
中国文化では道教を中心として旧暦の七月を「鬼月」とする慣習があります。旧暦の七月朔日に地獄の蓋が開き、七月十五日の中元節には地獄の蓋が閉じるという考え方は道教の影響を受けていると考えられています。台湾や香港、華南を中心に現在でも中元節は先祖崇拝の行事として盛大に祝われています。
日本では8世紀ごろには、夏に先祖供養を行う風習が確立されたと考えられています。仏教によるお盆時期は1日から24日で、地蔵菩薩の法会は「地蔵盆」と呼ばれ、大日如来のお盆は「大日盆」といわれます。
地獄の王は閻魔王であるがその王と対になるのが地蔵菩薩です。
釜蓋朔日(かまぶたついたち)
地獄の釜の蓋が開くのが1日(ついたち)で、この日からお盆です。この日を境に墓参りなどして、ご先祖様をお迎えし始めます。
七夕、棚幡
7日は七夕ですが、そもそも七夕は棚幡とも書き、故人をお迎えするための精霊の棚とその棚に安置する幡(ばん)を供える日であり、その行為を7日の夕方より勤めたために棚幡がいつしか七夕に転じたそうです。お盆期間中に僧侶に読経してもらい報恩することを棚経(たなぎょう)参りといいます。
13日夕刻の野火を迎え火(むかえび)とよび精霊の棚の故人へのお供え物をします。16日の野火を送り火(おくりび)とよび故人をお墓へお送りします。
盆踊り
15日の盆の翌日、16日の晩に、寺社の境内に老若男女が集まって踊るのを、盆踊りといいます。これは地獄での受苦を免れた亡者たちが、喜んで踊るのを模したといわれます。夏祭りのクライマックスです。
地方によっては、お盆の期間中に、故人の霊魂がこの世とあの世を行き来するための乗り物として、「精霊馬」(しょうりょうま)と呼ばれるきゅうりやなすで作る動物を用意することがあります。4本の爪楊枝、マッチ棒あるいは折った割り箸などを足に見立てて差し込み、馬、牛として仏壇まわりや精霊棚に供物とともに配します。きゅうりは足の速い馬に見立てられ、あの世から早く家に戻ってくるように、また、なすは歩みの遅い牛に見立てられ、この世からあの世に帰るのが少しでも遅くなるように、また、供物を牛に乗せてあの世に持ち帰ってもらうとの願いがそれぞれ込められています。
北信州のこの地方では、おやきをお供え物する風習や、迎え火送り火の時に独特の歌を口ずさむ習慣があります。
目連伝説
本来的には安居(あんご)の終わった日に人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて、祖先の霊を供養し、さらに餓鬼に施す行法(施餓鬼)となっていき、それに、儒教の孝の倫理の影響を受けて成立した、目連尊者の亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加されたようです。
『盂蘭盆経』(うらぼんきょう)からのお話し
安居の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。
哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう。」と答えた。その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも、伝わり、母親の口にも入った。
(当時の比丘は酒を飲んだり、肉魚卵を食べたりはしておりません。当然ですが、精進のものを飲んだり食べたりしました。釈尊の目は厳しいですからね。悪しからず。)