明治時代になると、神道と仏教はバラバラに

明治元年に神仏分離令が出されて、神社内の仏教的要素や寺院内の神道的要素が取り除かれてしまいました。これは、千年以上にもわたる神仏の歴史を打破するものでした。こうした動きは一部で暴力的に寺院や仏像を破壊する行き過ぎた行動(廃仏)と、僧侶の特権をとり還俗させるなどの釈迦の教えを壊す(毀釈)深刻な衝撃を与えました。

今でも、神様と仏様は別々なんですよねと念を押してくる方が多く、本当は千年以上も共に歩んできましたと説明しても、信用して貰えないことがあります。この時代の影響は非常に大きいんです。

私の曾祖父さんの弟は僧侶でした。幕末に生まれ、跡継ぎではないこともあり、近所の寺で得度しました。(私の父が約500年に及ぶ風間家の歴史を調べた結果)当家最高の秀才で、進化戒丈と名乗り、浄土宗の権僧正にまで出世しました。当家からこのような人が生まれ出るのも、(当神社ご祭神の)八幡神のご配慮ではないかと思います。今でも、我が家の自慢です。

ところが、「明治5年太政官布告第133号;今より僧侶肉食妻帯勝手たるべきこと。ただし法用の外は人民一般の服を着ても構わない。」
これでは、僧侶が一般人と同じになって、生臭坊主になってしまいます。政府の政策で仏教の教理を押し付けてしまう。釈迦の教えを毀すとはこのことです。

(但し、肉食妻帯論の源流はそもそも空海や最澄の即身成仏論の中にありました。「凡夫の即身成仏」を説く以上、「仏教の禁欲戒律と僧侶の本来の人間性との矛盾にどのように対応」するかは日本仏教の問題でした。)

私は、仏様を尊敬しておりますので、肉食を避けてベジタリアンを心がけています。これは、釈迦の教えの基本中の基本だと考えています。
進化戒丈はこのような時代に大活躍した僧侶でしたが、妻帯せずに他界したそうです。

討幕して内乱状態を収め、外来の圧力に対抗するために、明治政府は国民をひとつにまとめる必要があったのでしょう。しかし、神仏分離令がなければ廃仏毀釈も行われず、国宝と呼ばれる文化財は、今の三倍はあっただろうとのことです。

パワーを回復するには一体どうしたら良いのでしょう?

投稿日:2015年05月16日(土)