山の神

毎年10月のこの時期になると、近所に住んでいらっしゃるMさんにお願いされ、北方にある斑尾山に祀られている山の神様のお祭りにいきます。

山道を車で登り、途中からは歩いて登って行きます。幸いにも、好天に恵まれ、気持ちよく落ち葉を踏みしめながら進むことが出来ました。

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うっそうと生い茂る雑木林はMさんが下草を刈って山の神への山道を作ってくれました。このおかげで私は狩衣を着て歩いてご神前に行くことができました。

Mさんのお孫さんが雑木林の中でアケビを見つけました。

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武運濃神社は斑尾山から流れてくる斑尾川が千曲川に合流するところにあります。斑尾川沿いに集落があり、それぞれに小さなお宮があります。一般的に、川沿いにある集落のお宮を里宮と言い、大元の山にあるお宮を山宮といいます。斑尾山には武運濃神社の山宮と呼ばれるものはありませんが、このMさん個人が管理している山の神様は、私たちの大元の山にあるので、大切にしていきたいものです。

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先日、テレビでアンコールワットの番組を見ました。アンコールワットのそばには、大きな山があって、そこからきれいな水が湧き出して、アンコールワットに流れてくるのだそうです。

この水を利用してたくさんの水田を作り、多くの人が住んでいました。大元の山・水の源はやはり神様の住んでいる所として、祈りの場がありました。

アンコールワットはカンボジアにあるのですが、インドとは離れた場所にあります。しかし、ヒンズー教の寺院として造られました。また、地元の神様たちも祀られていたそうです。途中からは仏教が中心に変わっていったそうです。(戦いをせずに、平和を守り続けたために、長い間繁栄が続いたそうです。だから、巨大な石造りの寺院をたてることができました。)

アジア諸国の特徴として、仏教国であれば、地元の神様を祀りながら、外国の宗教としての(インド由来の)仏教を取り入れて祀ることは当然だと思います。キリスト教国のフィリピンでも同様です。

日本も同じです。神棚と仏壇を見て、異なる二つの崇拝対象を置いているといって驚く必要はありません。昔は混じり合っていたのですが、由来を知らない欧米の人が驚いたので、困ってしまったのではないでしょうか。明治時代の神仏分離令から分ける習慣が出来たのかもしれません。戦後のアメリカの影響もあって可笑しいと感じるのかもしれません。

 

投稿日:2015年10月22日(木)