人間の体の中には、「魂」と「ジ(JIT)」が二つあります。
猫でも犬でも、人生のある動物たちに「魂」と「ジ」はあります。
昔からすべての動物は(生まれかわりながら)進化していきます。

なぜ、進化するのでしょう?
私たちは地球の中で勉強すると形状が変わってきます。
例えば、動物が細長い壷の中の食べ物が食べたくても食べられない時、その個体は死にますが、子孫何代もかけて舌が長くなって食べられるようになってくる、これが勉強ということです。

科学者は進化すると言い、突然変異で変わっていきます。しかし、科学者は本当の理由が説明できません。
「ジ」を深めることによって、形が変わっていきます。科学には自ずから限界がありますが、「ジ」には限界がありません。人間は空を飛びたくても飛ぶ事はできませんが、「ジ」を使えば何でもすることができます。

なぜ「ジ」を理解する必要があるのでしょう?
「ジ」を理解できないと、天の扉を開けるために洞窟の中に入っていく価値がわかりません。

プラプッタジャウ(お釈迦様)が出現する2557年よりも前のこと

非常に高度なレベルの人は、通常の人間では理解できないことを理解するために「ジ」を使いました。動物から類人猿そして人間と変化して来るまでに何千年何万年もかかってきました。しかし「ジ」を使えば人生100年の間でも、ずっと早く進化することができます。

脳を使う上限は、アインシュタインのような科学者でも10%くらいですが、脳を50%くらい使うと進化できるようになります。
50%使うと魂と「ジ」は合体して1つになります。脳をそこまで使わずに、魂と「ジ」が別々ならば人は自分の肉体から離れずに生命活動します。そのような人が死ぬと、「ジ」は消滅し、魂は肉体から離れますが、魂が自由になるわけではなくて、そのまま閻魔大王のところ(地獄)に行かなければなりません。

(死ぬと浄土に行けるということはなくて、ほぼ全員が地獄に行きます。生まれ変わるもの達のルールです。これは改めて説明します。)

しかし、魂と「ジ」が合体すると肉体から自由になります。神霊になります。閻魔大王のところ(地獄)に行かなくても良くなりなす。
(これは一般の霊:スピリッツも同じです。生まれ変わりをしないで、ずっとこの世に住んでいます。)
どこにでも行くことができ、どんなところでも存在することが出来ます。

投稿日:2015年05月23日(土)


 

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戒律を厳しく守り、深い瞑想をし、パーリ語のマントラを唱えるタイのお坊さんたちは、凄い力を秘めています。
上の写真は崖にある洞窟を利用した寺院です。

天の扉開きの神事は、洞窟の中で行われます。祭主が神事を行うと、洞窟のなかの神様が扉を開けて、私たちにとりついている悪霊や悪いエネルギーを取り除いてくれます。そして、私たちに神聖物を授けてくれます。神聖物は空間で物質化して、上から雨のように降ってきます。「天の岩戸開き」を想像しますね。

しかし、洞窟の中に入る人たちの心が、きれいでなかったり、信仰心がなかったり、疑いの気持ちがあったりすると、神様が天の扉を開けてくれず、失敗に終わってしまいます。

神事を行う洞窟は、長い年月を経ても環境が変わらない静かな場所にあり、人があまり入って来ないところが良いようです。ごく稀にあるそうです。

宝物の大きさは2〜5センチぐらいの長さで、銀色の金属性のもの、金色の金属性のもの、宝石やガラスのようなものです。

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しかも、驚くべきことに、この神聖物一つ一つが、人の願いを叶えたり、ビジネスなどの金運を授けたり、悪霊や悪いエネルギーから守ってくれるなどの役割と強力なパワーを持っています。

この神事を成功させることができる人は現在6人だけで、タイ以外の国で成功させた人はいないそうです。

投稿日:2015年05月22日(金)


ブッダが死んだ後、その教えをどのように伝えていくかは、弟子たちにとってとても大きな問題でした。

ブッダが活動していた国で、主に使っていたマガタ語で聖典(パーリ)をまとめ、統一しました。現在では、マガタ語は死語となっているので、パーリ語聖典で伝えられているといわれます。(サンスクリット語の発音と似ています)

仏滅から三ヶ月後に弟子たちは一堂に会して、教えが失われたり、異説が生じたりしないようにチェックしました。(第一結集)
これは筆記用具や紙などで書いて記録する古代中国や古代西洋の文化と違って、古代インドでは、説かれた言葉を丸ごと耳から覚え、人に伝える時も聞いて覚えたそのままを口で唱える口頭伝承の文化でした。

暗記のほうが筆記よりも正確であると判断した、ものすごく優秀で完璧な弟子たちが集まったんでしょうね!

仏滅100年後、第二結集が開かれました。これを機会に、戒律や経典を厳格に保持する上座部と戒律等を自由に改変する傾向にあった大衆部に仏教教団が大きく分裂してしまいました。
前者はスリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジアなど南方に伝えられ南伝仏教(上座部仏教)と呼ばれ、後者は中国、朝鮮、日本、チベット等で栄えたため北伝仏教(大乗仏教)と呼ばれています。

南伝は、各国語の文字でパーリ発音表記されています。
これに対して、漢訳経典は、一つ一つのお経の内容がパーリ聖典のものとかなり違うそうです。どうしても翻訳された形跡のないパーリの経典よりも、漢訳の方が信頼度が落ちる。漢訳はパーリ(マガタ)語からの直接の訳ではなく、一旦、北西インドのガンダーラ語などに訳された後、仏滅千年近くも経った西暦四、五世紀までに漢文に訳されたものだそうです。翻訳からの翻訳であることや、インドの言語から全く文化の異なる漢文に訳されているのですから、信頼度が落ちるのも無理もありません。

戒律を厳しく守り、瞑想をし、パーリ語のマントラを真剣に聞き覚えて伝えているタイのお坊さんたちの生きた姿を見ると、ブッダの教えを本当に正確に伝えて来たのだなあと感心しました。
天の扉開きの神事にはこのような背景があったのです。

次回は、この驚くべき事実と真実をお伝えします!

投稿日:2015年05月21日(木)


日本人のくせに外国の神様を拝むなんて・・・

実は日本には外国から来た神様が多いんです!
主に宗教の発祥地インドから中国経由で来日しました。

☆ ガネーシャ(ヒンドゥー)⇒歓喜天(聖天)

☆ シヴァ(ヒンドゥー)  ⇒大黒天

☆ ラクシュミー(ヒンドゥー)⇒吉祥天

☆ サラスヴァティー(ヒンドゥー)⇒弁財天

☆ ヤクシニー(ヒンドゥー) ⇒荼枳尼天(だきにてん)=おいなりさん

☆ (インド生まれで中国で活躍) 達磨

☆ ヤマラージャ(ヒンドゥー) ⇒閻魔(えんま)大王

大陸経由の大乗仏教は、インド由来なので、ヒンドゥーの習慣や儀式を観察すると共通点が多いように思います。神道にも共通点が多いと思います。日本はインド・ヒンドゥーの知識が本当に少ないんです。

日本のお経はインドのマントラを中国語に変換してから日本に入ってきました。
マントラ(インド語)⇒ 真言(漢字)⇒ 読経(日本語で発音)
例えば、「ナモー」 ⇒ 「南無」  ⇒ 「なむ」
のように変化します。オリジナルとはかなり異なる発音になり、マントラのパワーは減弱してしまいます!
意味・内容についても微妙で難しいところがあります。

表音文字から表意文字への翻訳;四世紀〜七世紀のインド語から中国語への翻訳:「旧約」(くやく)・「新訳」(しんやく)によって、後代に与えた影響は計り知れないですが、日本人は原点を見るようにしましょうよ。グローバルな時代ですからね。

 

投稿日:2015年05月18日(月)


広島・長崎に対する原爆投下、主要都市に対する大空襲は、民間人に対する無差別大量殺人でした。しかし、戦後の日本人の変わりようをみると、戦争によって物質的に破壊しただけではなくて、精神的にもひどく破壊されてしまいました。これは、GHQによる

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム War Guilt Information Program
「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」

非常に綿密で計画的で徹底的なマスコミに対する宣伝工作によって、原爆投下の責任をアメリカではなくて日本人自身の責任にすり替え、同時に自国の歴史を否定して、文化や伝統までも捨ててしまうような誇りのない精神にする計画でした。

新聞・ラジオ・映画などのすべてのマスコミを使って、7年間延々と計画に基づいてマインドコントロールしました。日本人は気づかないうちに、いつの間にか受け入れてしまいました。終戦後70年も経つというのに、まだ下記のような内容を信じている日本人が多いのは、驚くべきことです。GHQによるすり替えですからね!

★ 一部の好戦的な軍部により国民は騙されて戦争に誘導された。
★ 日本軍は戦時中にいろいろな残虐なことをしても平気だった。
★ 原爆投下の予告を日本の指導者が無視したから、日本を救うためにアメリカは原爆を使用した。
★ 日本人は過ちを反省すべきだ。
★ 日本は好戦的で悪い国で愚かだった。アメリカは平和への努力をし続けていたのに戦争に突っ走ってしまった。

結果として、親の言うことを聞かない・先生の言うことを聞かない・愛国心なんて馬鹿馬鹿しい・世の中金しだい・宗教なんてマユツバだ!

この政策によって、お祈りをする人はさらに少なくなってしまいました。この影響は大きいんです。悪霊がパワーアップしてしまいます。

投稿日:2015年05月17日(日)


明治元年に神仏分離令が出されて、神社内の仏教的要素や寺院内の神道的要素が取り除かれてしまいました。これは、千年以上にもわたる神仏の歴史を打破するものでした。こうした動きは一部で暴力的に寺院や仏像を破壊する行き過ぎた行動(廃仏)と、僧侶の特権をとり還俗させるなどの釈迦の教えを壊す(毀釈)深刻な衝撃を与えました。

今でも、神様と仏様は別々なんですよねと念を押してくる方が多く、本当は千年以上も共に歩んできましたと説明しても、信用して貰えないことがあります。この時代の影響は非常に大きいんです。

私の曾祖父さんの弟は僧侶でした。幕末に生まれ、跡継ぎではないこともあり、近所の寺で得度しました。(私の父が約500年に及ぶ風間家の歴史を調べた結果)当家最高の秀才で、進化戒丈と名乗り、浄土宗の権僧正にまで出世しました。当家からこのような人が生まれ出るのも、(当神社ご祭神の)八幡神のご配慮ではないかと思います。今でも、我が家の自慢です。

ところが、「明治5年太政官布告第133号;今より僧侶肉食妻帯勝手たるべきこと。ただし法用の外は人民一般の服を着ても構わない。」
これでは、僧侶が一般人と同じになって、生臭坊主になってしまいます。政府の政策で仏教の教理を押し付けてしまう。釈迦の教えを毀すとはこのことです。

(但し、肉食妻帯論の源流はそもそも空海や最澄の即身成仏論の中にありました。「凡夫の即身成仏」を説く以上、「仏教の禁欲戒律と僧侶の本来の人間性との矛盾にどのように対応」するかは日本仏教の問題でした。)

私は、仏様を尊敬しておりますので、肉食を避けてベジタリアンを心がけています。これは、釈迦の教えの基本中の基本だと考えています。
進化戒丈はこのような時代に大活躍した僧侶でしたが、妻帯せずに他界したそうです。

討幕して内乱状態を収め、外来の圧力に対抗するために、明治政府は国民をひとつにまとめる必要があったのでしょう。しかし、神仏分離令がなければ廃仏毀釈も行われず、国宝と呼ばれる文化財は、今の三倍はあっただろうとのことです。

パワーを回復するには一体どうしたら良いのでしょう?

投稿日:2015年05月16日(土)


仏教が日本に伝来したのは、6世紀中頃ですが、当時の日本人には古来より伝わる神道の概念しかなかったので、理解するには難しかっただろうと思います。はじめは、公家や皇室などの超セレブにお話をしに伺ったのではないでしょうか。大陸伝来の文化は、中国語(漢字)の理解が前提ですから。新しい概念は身近なことを例にあげて、何度も説明したでしょうね。

この教えを高く素早く評価し、聖徳太子は594年仏教興隆の詔をお出しになりました。
そして、宇佐八幡神(誉田別尊:当神社ご祭神)は743年に奈良東大寺大仏造営を助成せよと宣託なされました。
794年平安京に遷都し、この頃から密教が流行し始めました。二大密教のうち天台宗は山王一実神道、真言宗は両部神道として更に日本人に分かりやすく消化されて行きました。(日光東照宮は、山王一実神道の僧天海が家康を祀りました。武運濃神社は鳥居に両部様式を取り入れました。)

神仏習合は更に進み、神宮寺・神護寺が各地に造られました。仏(本地)が衆生を救うために仮に神となって姿を現した(垂迹)という分かりやすい考え方です。神社では、ご神前でお経を読む別当という役目の方もお勤めしていました。

また、天台真言の山岳修行とわが国固有の山岳信仰が融合して修験道となりました。(長野市戸隠山・飯山市小菅では、今でもその名残りがありますし、風間家でもその昔、修行をしていたと先代の父より聴いております。)

平安中期になるとやはり中国より伝来した浄土教(仏様を信じれば、誰でも救われる)が流行し始めました。ひらがなの普及も拍車をかけたのではないでしょうか。しかし、同時に「もうこの世は終わりだ!」という末法思想も広がりました。

平安末期から鎌倉初期にかけて公家の没落と武士の興隆のため、仏教の大衆化が始まりました。武士商人農民に向けて鎌倉新仏教(浄土宗、浄土真宗、時宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗)がスタートしました。

しかし、1174年元寇が始まり、嵐によって元が退散し、日本が救われると、「日本は神国である」と考える人逹が出てきました。このようなことを背景にして本地垂迹説の逆の神本仏迹説がでて、伊勢神道(度会神道)が形成されました。江戸時代になると、神道を中心に儒学・仏教を統合しようとする唯一神道(吉田神道)が完成しました。

当神社は江戸時代に京都吉田家から宗源神宜を授与され、八幡宮から武運濃神社と改称されました。
江戸時代は文化の花盛りで、儒学を取り入れた唯一神道をはじめ王道神道・吉川神道・垂加神道・土御門神道など着眼点が異なる諸説が出ました。

また、復古神道から国学が進展して攘夷思想に強い影響を与えました。
江戸時代末期には、神道禊教・黒住教・天理教・金光教など神道十三派(教派神道)がたくさん開かれました。しかし、仏教的な神道は雲傳神道など少数に留まりました。

このように、仏教が伝来して以来、神社は仏教を長い時間をかけて取り入れ、模索しながらパワーアップしてきました。しかし、残念ながら、明治以降は国家神道として繁栄したものの、大切なものを多く失ってしまいました。

この点についての続きは次回、お楽しみに!

 

 

 

 

投稿日:2015年05月08日(金)


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