カルマについて

今の日本人が一番カルマを積んでしまうことは、食べることです。そして、酒を飲むことです。これが基本的で、最も大きなカルマになっています。殺さずに食べることができるベジタリアンになりましょう。酒を飲まないようにしましょう。皆さんが周りの人を一人でもベジタリアンに出来たのならば、その後の生涯で相当数の動物(牛、豚、鳥、魚)を殺さずに済みます。皆さんがその動物たちの命を救ったことになります。大きな法施です。難しい真理を説くことと同様に立派な法施になります。酒を飲むとバッドスピリッツがはびこるようになります。ギャンブルもやめた方がいいです。

Q 酒は百薬の長であり、一杯ぐらいは飲んだほうがいい。そのくらいならば酔わないし、一滴も飲まないということまでやる必要はないと言う人がいます。

A その人の魂の成長発達がそこまでであるということです。今世で学ぶ権利がどこまであるかということです。また、今世の目的がカルマを積むことである人もいます。皆さんは周りの人に法施をすべきですが、従わせる必要はありません。お釈迦様が酒を飲まない方がいいと教えてくれたことを伝えるのはいいですが、論争する必要はありません。インドのシルディババも「議論は無意味なので、議論は絶対するな。」と言っておられました。

Q 人類は世界中で一日に20万人ずつ着実に増えています。人は死んでも魂は生まれ変わっていきますが、世界の人間の魂の数は増えているのでしょうか?

A 動物からはじめて人間になる魂が加わるので、大丈夫です。

Q お母さん(両親)を使うと〈文句を言っただけでも〉カルマになると以前教えていただきました。先生を使ってもカルマになりますか?そのようなことを考えただけでもカルマになるでしょうか?

A 先生を使うということは、カルマになりますが、目的動機が大切です。教えてもらうために、デモしてもらうのは良いですが、イジメるためにあれやれ、これやれはカルマになります。単純にわからないことを知りたいということは、カルマになりません。ただ、何をしたらカルマになるか、ならないかということはきりがありません。大切なことは、シンハー戒律をしっかりた守ることです。プラプッタジャウがおっしゃられていることでもう一つ大切なことは、親の恩、先生の恩をはじめ、友人の恩をすべて返さなければなりません。生まれる時にも恩があります。ひとつでも忘れてはダメです。忘れるとカルマになります。

インドのクリシュナはバガバットギーターの中でこう説いています。「行動の動機が最も大切である。人間は結果について求める権利は与えられていない。」

例えば、上司が部下を叱る時、仕事を失敗した事を叱るべきで、部下の人格を叱ってはならないと言います。これは、叡智の丸反対で結果を求めていることになります。失敗に至った理由を詳しく見てみると、育った環境や教育や世界観や考え方などで、出来上がったその人の人格がわかってきます。結果を叱るということは、結果を求めていることになります。だから、失敗して、叱るとしたら、人格を叱るべきです。結果がどうなるかは、私たち人間に権利が与えられていません。飛行機に乗ったら絶対に安全に目的地に着くと思い込んでいます。だけど飛行機が何らかの原因で墜落して家族が亡くなると、亡くなったという結果に対して文句を言って、補償だ、どうだこうだと言います。しかし、失敗した動機を探っていくべきです。人格に問題があったかもしれない。世の中、失敗したら結果ばかりを責めるような風潮になってきました。

ゼロ戦でカミカゼ特攻して、敵の兵隊を殺しました。これは徳分でしょうか?カルマでしょうか?非常に難しい問題です。いろいろ複雑に絡み合うわけです。この行為に及ぶ動機がどうであったかが問われてくるわけです。

また、お母さんは恩人です。それなのに、例えば若夫婦が自分の子供の世話をさせるのに、お母さんを使ったらカルマになります。

Mさん;「私は、7歳の時に母親が自分を捨てて家を出て行ってしまいました。母親は今生きているか死んでいるかもわかりませんが、母親に生んでいただいたことの感謝として今日タンブンをしました。今までは怨みは捨ててしまおうと思ったけれど、心から感謝する気持ちにはなりませんでした。今日のお話、千手観音の物語を聴いて、心の中がスッとして、感謝する気持ちになりました。生きていても、死んでいても徳分をあげることができるのですね。」

インドでは、プライオリティー優先順序が次のように説かれています。

1、母親  2、父親  3、グル  4、神

人は成長して神のもとに至らなければならない。しかし、何と言ってもまず、生んでもらわなければ自分が存在できません。次は父親です。グルがいなかったら神のことの勉強ができません。神への道がわからずに遭難します。そして食べた最後が神です。ところが、神のため、グルのためと言って、どこかの施設に入って修行する。親が「帰って来いー!」と言っても蹴飛ばすシーンが過去の事件を起こした教団でありました。親を大切にできない人間がどうして神を大切にできるでしょうか。神様だけが大切だという人は、何も神様のことを学んでいません。

スピリチュアリティー(霊性修行の道)とは、手に入れる事では、ありません。どれだけ供物として捧げられるかです。アメリカの西海岸を中心としたニューエイジ運動がありました。自分の心が豊かになる、気持ちが癒される、精神的に得るものがあるということが、スピリチュアリティーだと広がりました。しかし、これは勘違いです。インドでは、自分のものを捧げるスワハが最も大切です。捧げることがスピリチュアリティーです。「あなたは、ありのままはの自分でいて良いのです。」と言って人を集め、成長せずにそのままでいて良いですというのは、魔神のささやきですよ。今の日本においては大問題です。イエス様、お釈迦様をはじめとして、あらゆる聖人は、勉強しなさいと教えています。

性同一障害のカルマ:「ありのままの自分で良い。」男に生まれてきたのに、なんで女の格好をするのでしょうか?

過去世で相手の自由を強制的に奪い、ひどい目に遭わせた。(例えば、相手を閉じ込めてレイプし、殺したかもしれない。)だから今世で自分自身が自由にならない。同じ目に遭うのです。自分の性に違和感があるのです。たとえ性転換手術をしたところで、一生このことは変わりません。カルマ解消のために、来世のために、今世で苦しむ必要があります。(インドで男が女の格好をしていたら、親に殺されます。イスラムでも同じです。)だったら、性同一性障害を苦しむな、ありのままでいて良いと、成長やカルマ解消の本質を妨げるべきではありません。真理を求めずに一時的な心や感情に働きかけると、人が寄り集まって流行ります。そしてお金が儲かります。そのためにやっているんです。真理は人の心の丸反対です。食べるのは生きていくために食べるのであって、楽しむためではありません。酒飲むなも同じです。

 

投稿日:2016年02月17日(水)