タンブン(神の徳分)とタンタン(人徳)

ここではタンブン(神の徳分)をブン、タンタン(人徳)をタンと省略して記載します。2つは内容が全く異なります。タンブン、タンタンの前半のタン自分のものをあげるという意味です。

ブンは死んだ後も役に立つ、来世のための貯金です。タンは物理的なことなので、今世に関係します。食べていくこと、生活などの人生がよくなります。ブンは来世も今世も両方よくなります。来世のためだけにブンを得ようとすると今世がダメになります。ブンとタンは両方大切です。目の前にチャンスがあれば、ブンであれタンであれ、やることが大切です。

インドの乞食がサイラームと言って追いかけて来たとします。しつこく追いかけて来て、手を差し出すので、仕方なく1ルピーあげます。これは神の徳分になるでしょうか?また、ナホトカ号が沈没して、油が流れ出し海が汚くなった。ボランティア活動に参加してきれいにした。これは徳分になるでしょうか?日本人の根本的な誤りがここにあります。インドの乞食にご飯をあげるのはタンです。しかし、タイのお坊さんに托鉢でご飯をあげるのは、ブンです。タイのお坊さんが托鉢をする目的は、在家の人たちに徳積みの機会を与えてくださるのが仕事です。お坊さんは自分が食べたいから、御飯にありつくために、朝、托鉢にまわるわけではありません。海岸が汚れて、ボランティア活動に行くのは、ざっくり言うと徳分ではなく、タンになります。日本では、これを分けて考えていく概念がないために、すべて徳分と思ってしまっています。自分が行った行為が、神の徳分ブンになるかタンになるのか、分けなければなりません。お腹を空かせている人にご飯をあげるのは、ブンになるよりもタンになって、今世生きていく上で自分自身に食べるものに困らないという恩恵が帰ってきます。人助けをしたら、回り回って人から助けられるでしょう。とても良いことです。ところが、神のための行為を行った場合には、ブンになって、非物理的存在からの恩恵が得られます。ひとつの行為にはブンとタンが入り混じることのほうが多いかもしれません。このために、分けて考え難いかもしれません。しかし、放生は純粋なブンになります。今まさに殺されようとしている魚を、買ってきて、川に流して助けてやる行為です。これは全く人のためになる行為ではありませんし、恩返しも期待できません。日本人にはよくある事ですが、善良な人たちは、人のためになる事をしようと考えます。そして、人のためになる事が徳分であると勘違いしています。人のためになる事はタンです。ただし、人のためとは言っても、人の魂の成長のためになる事はブンになります。

逆に魂の成長の邪魔をする行為はカルマになります。例えば、この天の扉開きツアーに参加することは、魂に関する事の学びができます。しかし、そのことを理解しない周りの者は、皆さんがツアーに参加することに反対するかもしれません。その場合、人間的には反対を押し切って参加することは良くないことかもしれません。しかし、皆さんは観光旅行にきているわけでもありませんし、非常に深い、それどころか、これ以上に深い学びをできるところは全世界にないと言えるほどのツアーであると確信しています。それだけの深い学びを魂が求めて、ここに来たわけです。自分の感情ではなく、縁によって来たわけです。それを邪魔する者はカルマになります。反対する相手のいうことを聞いて、ここに来ることを止めたら、相手にカルマを積ませる事になります。それは、本当の意味で相手のためにはなりません。

職業が医者、ヒーラーの場合には、直接的に関わることができます。魂の成長のためには、健康が第一です。健康が害されて、先生のノドがつぶれたら、皆さんの勉強がかなり遅れます。しかし同様に、せっかく末期がんの患者を治してあげても、とめるのも聞かずに、その人が酒を飲んだり、肉を食べたりしたら、動物たちを殺す手伝いをしたことになります。ヒーラーが病気を治してあげる場合には、カルマを積まないように、説明しなければなりません。何をたもって相手のためになるのか良く考えなければなりません。

Q タンブンの木は、木の枝にお札を葉っぱのように挿して立てます。お寺の寄付はこのようにして集めますが、タイでも盗る人はいますか?

A 賽銭泥棒は大きなカルマになります。このことをよく知らない人、怖くない人、信じない人が盗みます。

タンブンとタンタンのことをよく理解したら、戒律を守らず、職業として仕事をしている日本のお寺に寄付することは、避けるようになるかもしれません。人の心を慰めるのが目的なので、タンタンに近くなる可能性があります。戒律を守り、人生として、お坊さんになることを選び、魂の成長を目指しているタイのお寺に寄付して、自分の行動がタンブンとなるように選ぶかもしれません。 

お金はあの世に持って行けないとは言いますが、自分の財産や遺産をお寺に寄付したり、今まさに殺されようとしている、動物たちをお金を出して買い取り、放生して救うことは、ブンとなって、自分の来世を助けるでしょう。自分の資産を多少なりとも子孫に残すことは、タンとなり人間として必要なことですが、ブンとタンの比率についてはよく考える必要があります。

Q 親からもらった遺産を親の名前で寄付することは、故人のブンになりますか?

A 親が亡くなった後の親孝行になります。これ以上の親孝行はありません。親の名前で寄付することは、生きているうちにやってあげても良いことです。

相続で悩んでいる人は多いです。欧米では、社会的に成功を収めたレベルの高い人たちの場合、子供にすべてを譲るのではなく、自分の資産の多くを自分の思うところに寄付して隠遁生活に入る人が多いです。ところが、日本人の場合には、ほとんどの財産を子供たちに譲るため、相続税対策に知恵をしぼるだけで、死んだ後のことを全く考えようとしていないのが現状です。寄付しようとする習慣もありませんし、指導書もありません。このようなことは、インターネットや書籍を出版して、多くの人に知ってもらうべきです。これは法施になります。

お金のある人は物施をしましょう。体力のある人は体施をしましょう。

優先順序は、法施、物施、体施です。(お坊さんが法施します。)

遺言とは、残された子供たちがどうしたらいいか、どうすべきかということを伝える言葉です。お金だけをあげることではありません。喧嘩のタネまで残さないように。

Q 孤児院の子供を引き取って、育てたらブンになりますか?

A ブンとタン両方になります。ただし、神の世界を学ぼうとする人は家族を増やさないほうがいいです。家族が増えると煩悩が増えます。

 

投稿日:2016年02月16日(火)